2016年7月7日木曜日

七夕と暦について、とりとめのないメモ

今日は「七夕」ということになってるけど、天気予報では夕方から曇り。七夕星は見えそうもない。やっぱり七夕は旧暦がいい。今年の旧暦の七夕は8月9日だそうな。

俗に旧暦、陰暦とも言うけど、正しくは大陰太陽暦。月の動きと太陽の動きを組み合わせるので、月と太陽の位置から発生する誤差を適当に修正してやらないといけない。これがめんどくさい。太陽暦だとほぼ自動的に計算できるんだけど、大陰太陽暦は誤差調整の程度について、どうしても人間の判断が必要になる。
問題は、「誰が判断するか」ということ。誰もが勝手に暦に修正を加えると、暦が乱立して何が何だかわからなくなる。これでは暦の役に立たない。
だから大陰太陽暦を作った中国は皇帝の権威で暦を制定した。毎年、修正が必要になる暦は、最高権威者が、彼が支配する地域で使われる暦を決めたわけだ。
言い換えれば、皇帝は時間までをも支配したのである。
暦は元号とともに、権威の象徴でもあったわけだ。

面白いのは、東アジアで使われていた暦は、ひとつではないということ。中国ではもちろん中国皇帝お墨付きの暦が使われていたが、周辺の国々ではそれぞれの支配者が決めた暦が使われていたという。
朝鮮半島では主に中国の暦を輸入して使ってきたが、完全にシンクロしていたわけではない。日本は江戸時代まで中国の暦を使っていたが、やはり中国の暦とシンクロしていない。平安時代ぐらいまでは貴族が中国文化の輸入に熱心だったので比較的新しい中国の暦を使えたのだが、武士が日本を支配するようになって中国との交流が希薄になると、暦がアップデートされないまま、古い中国の暦法を江戸時代まで使い続けてきた。さすがに誤差が大きくなって、江戸時代に日本が独自開発した暦が使われるようになり、明治時代に暦法を太陽暦に切り替えるまで、国産の暦の使用が続いたという。

東アジアをひとくちに「中華文化圏」というけれど、どんな暦を使っていたかによって、中国との関係がわかる。中国のオフィシャルな暦をそのまま使う地域が、まさに中国。オフィシャルな暦をモディファイして使ってれば、周辺国。別の暦を使っていれば中国とは無関係の国、ということになる。ちなみに日本の江戸時代の沖縄は、オフィシャルな中国の暦をモディファイした琉球暦を使っていたらしい。

詳しいことは調べてみないとわからないけれど、江戸時代に日本が独自の暦を作成した頃は、ちょうど国学が誕生した頃だった。初の国産の暦だった貞享暦が制定された1685年は、契沖や荷田春満といった国学の先駆者が生きていた時代であり、長崎に出島が作られ西洋の文化が流入し始めた時代でもあった。
中国という東アジアの強大な権力のソフトパワーの影響下にあった日本に、中国とは異なる西洋の価値があることを知り、それと並行して日本固有の古代の価値を再照明することを通じて日本人が自分たちのアイデンティティを確立していったんだろう。何百年も前の古臭い中国の暦を捨てて、自分たちの独自の暦を作ってもいい、作るべきだということに気が付いたのかもしれない。
この時、新しい日本製の暦は、当時、暦を管理していた江戸幕府が実施している。天皇は暦の改変について、何か建議されたのかどうかまでは知らないけれど、とにかく幕府がその時代の時間までを支配する最高権力者だったということ。
「脱亜入欧」、「和魂洋才」なんて、明治になって作られたスローガンだと思ってたけれど、すでにこの頃から時代遅れの中国の影響から抜けだして、新しい日本的な価値を追求しようという動きが始まっていたわけだ。で、その新しい日本的な価値ってのが、まったくユニークなオリジナルではなく、中国やら西洋やら古来の日本のものやらのいい所をうまいこと組み合わせて作られたというのがいかにも日本的。今のメイド・イン・ジャパンに通じる発想なのかとも思う。

日本では明治維新で尺貫法や大陰太陽暦といった古いスタンダードがすべて西洋式に変えられた。中国や朝鮮がどのような経緯で暦を切り替えたのか、ぼくは知らないけれど、今でも中国や韓国は民衆レベルで陰暦が生きている。日本ではよほどの年寄りか変人でなければ、そもそも陰暦とは何かさえ知らなかったりするのだが。想像するに、中国も韓国も、新しい太陽暦への切り替えを命じたのは皇帝や王ではない地べたの権力だったのに対して、日本は天皇の名で暦の切り替えを命じたからかもしれない。
それはともあれ、今、日本では国立天文台が陰暦の暦を決めている。中国や韓国も同じような組織が決めている。時間の支配権が絶対権威者から国民国家に移動したわけだ。もっとも、日本と北朝鮮だけは、絶対権威による年号が使われているあたり、両国の支配者と人民のルナティックなメンタリティを象徴していると言えそうだが。
年号を除けば、時差などによる若干の誤差はあるものの、基本的には現在、東アジアで使われている陰暦の暦法は同じものらしい。
つまり、東アジアの土とともに生きてきた非権威的な人民の間には、陰暦に関する限りほぼ共通のスタンダードがある。ようやく東アジアの人民は、国境を越え、皇帝だの王だの天皇だのといった絶対権力の支配から「時間」を取り戻したのかもしれない。

中国の七夕も、韓国の七夕も、したがって今年は太陽暦の8月9日の夜に行われる。日本でも仙台の七夕、青森のねぶたなどは旧暦の7月7日(の前後)に行われる。これら東北の土地は、朝廷の権威が及ぶのが遅れた土地でもある。

そんなことを考えながら、今年もやっぱり七夕星を見るのは8月9日にしよう、と思う。