2014年6月23日月曜日

鈴木章浩議員のヤジの意味

鈴木章浩都議が「早く結婚したほうがいいんじゃないか」というヤジで世間から袋叩きにされている。白々しく自分ではないと言っておいて、今ごろになって認めて神妙に謝罪をしてみせ、それでも議員は辞めないというのだから、卑怯なやつだと思う。

でも謝罪会見を聞きながら、「何か違う」という印象が拭えない。ウソをついて逃げようとしたこと、辞任もせず居座っていることも問題なんだろうけど、それだけではない。
鈴木章浩都議は、「少子化・晩婚化のなかで早く結婚して頂きたい」と思っていたが「本当に結婚がしたくてもできない人への配慮が足りなかった」から謝罪する? おかしくないか?



「産めないのか」というさらにえげつないヤジもあったというが、みんなが早く結婚したら少子化が解消されるわけではない。早く結婚しても子供ができない夫婦は珍しくない。結婚しなくても子供を産むカップルもいる。同性結婚はどうする? 子供を産まない結婚は結婚ではない?

そもそも鈴木章浩都議をはじめとする保守政治家の「結婚」という制度についての考え方が、とんでもなく時代錯誤的、反人権的であることが、今回のヤジ問題の背景にある。国家のために結婚し、国家のために子供を産む、そんな価値観の中からは「早く結婚したほうがいいんじゃないか」という声が上がってくるのは、ある意味、当然。中国をシナと呼び、尖閣諸島に乗り込んだ右翼議員の鈴木章浩都議には、自分の発言の意味がわかってないんじゃないかと思わざるを得ない。
謝罪記者会見の中で、マスコミの記者は無難な記事のネタになりそうな回答ばかりを要求していたけれど、ぼくは鈴木章浩都議に同性結婚についてどう思うのか、不妊カップルについてどう思うのか、結婚しても子供は欲しくないというカップルについてどう思うのか、結婚という制度についてどう思うのかを聞いてみたい。
少子化が日本の国力を低下させるという発想から、結婚を少子化対策だと考え、「早く結婚して頂きたい」というのであれば、これはナチス的な優性思想がちらつく戦前の「産めよ殖やせよ国の為」のスローガンで押し付けられた国策と何も違わない。少子化については、過去に「子供を産む機械」といった発言が問題になったりもした。最近では「女性手帳」が問題になった。子供を産まない女、国の為にならない子供は、存在価値を認められない。

そんなことを考えると、鈴木章浩都議に謝罪をさせ、あるいは辞任に追い込んだとしても、そして今回、同調してバカなヤジを飛ばした別の議員を吊るし上げたとしても、また何度でも同じようなことが起きる。

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