2012年12月24日月曜日

バターコーヒー

コーヒーにバターを浮かべて飲む。

ちょっと異様な取り合わせのように感じるかもしれないけれど、考えてみればバターは生クリームの脂肪分を固めたものなのだから、成分的にはコーヒーにクリームと似たようなもの。怖がる必要はない。

バターコーヒーと言っても特別なものではない。普通にいれたコーヒーに好みの量のバターを浮かべるだけでもいい。バターの量は好みだけれど、あまりたくさんいれるとバタ臭くなる。個人的にはバターをひとかけ2-3g程度に、砂糖をひとさじぐらいが好み。

ちょっと本気でおいしいバターコーヒーが飲みたければ、深煎りにしたブラジルやマンデリンなどの苦味が強いコーヒーを少し濃い目にいれて、できるだけ上等な無塩バターを浮かべる。

パンに塗るような普通の有塩バターを使うと、バターに含まれる塩分がせっかくのコーヒーの風味をぼやかしてしまう。だからここは、ぜひとも上等な無塩バターを使いたい。すっきりしたバターの脂肪分がコーヒーの風味をそこなうことなく、苦味の角を丸くしてマイルドな味わいにしてくれる。

だけどバターコーヒーの本領は、たぶんそんな上品な飲み方じゃなくて、コーヒー好きが「こんなもの、飲めたもんじゃない」と放り出すようなワイルドな味がする安物の豆でいれたコーヒーに、そこらのバターを浮かべたものなんじゃないかと思う。この仮説はマンデリンも無塩バターも高いから買えない、という貧乏人(オレのことだ)に支持されるはずだ。

この場合、できるだけ安い深煎りコーヒーに、普通の有塩バターをたっぷりと浮かべる。上等なコーヒーと無塩バターの組み合わせのときよりもバターはたっぷり、ちょっとバタ臭いかなと思うぐらいが適量だ。
コーヒーのお勧めは、スーパーで安く売ってる焦げた麦茶みたいな味の「アイスコーヒー用ブレンド」だ。粉からいれるのがめんどくさければ、安いインスタントコーヒーでもいい。とかにく安物のコーヒー豆やインスタントコーヒーにたっぷり配合されているロブスタは、雑味が多く、ロブ臭さといわれるような特有の味がするので「まずい」と言われるわけだけど、バターの塩分は、このロブスタの雑味を殺し、脂肪分が安っぽい味をまろやかにしてくれる。そしてロブスタがそれなりに持っている独特の風味と、たっぷり入れたバターのコクと香りが絶妙にマッチして、なかなかいい感じになる。

ところで、バターとコーヒーの組み合わせには、いろんなバリエーションやアレンジがある。

ぼくは飲んだことがないのだけれど、一部で流行っているらしいのが濃い目のコーヒーに無塩バターを入れ、さらにココナッツミルクを入れてガーッとかき混ぜるというレシピ。たぶん、それなりにおいしいんだろうけど、普通のバターコーヒーは「コーヒー」の範疇に入るとしても、ココナッツミルクを入れちゃうとアレンジコーヒー、フレーバーコーヒーの範疇になるんじゃないかと思う。コーヒーというより「コーヒー飲料」じゃないのかなあ。あまりアレンジコーヒーには興味がないなあ。

独特の器具を使うベトナムコーヒーで有名なベトナムでは、しばしばコーヒーを焙煎する時、あるいは焙煎後に熱いコーヒーにバターをからませるという。ベトナムのバターというのがどんなバターなのか知らないけれど、おそらく普通の有塩バターではないかと思う。ちなみに、ベトナムはフランスの植民地時代が長かったので、パンの味は日本のパンよりはるかに上だとか。バターもおそらくフランスパンにつけて食べるような種類の有塩バターだと想像する。
バターを使った焙煎は、上述のように塩分がコーヒーの雑味を隠してマイルドにしてくれると同時に、表面にからんだ油脂分によりコーヒーの日持ちがよくなるんだそうだ。
インターネットを検索してみると、日本にも焙煎後にバターをからませたコーヒー豆を売りにしているコーヒーショップもある。コーヒー専門店なら、おそらく無塩バターを使っているんだろう。飲んだ人に聞いてみると、「全然普通においしいコーヒーだよ」とのことで、バターを浮かべたコーヒーとは違う味らしい。

余談ながら、寒い時のバターコーヒーは体が温まっておいしいという。余談ついでにアイリスという韓国ドラマの中で、主人公が雪山の中で女スパイにバターコーヒーを飲ませてやる、という場面が印象的だった。ただ、ギョッとするほどたっぷりバターを入れていて、「おい、そりゃ入れすぎだろ…」とか思ったけど、映像的にはワイルドにバターナイフでざくっとすくってベトッと入れなきゃ、カッコつかないんだろうなあ。山小屋にバターがあるという設定もアレだし、極寒の山小屋のバターがあんなに柔らかいわけないだろ、とか、違和感満載の場面ではあったのだけど、まあ韓国ドラマなんてそんなもん。

ところで、有塩・無塩にこだわるようだけど有塩バターの塩分含有量は海水の塩分濃度に近い3%程度だという。食品の塩分としてはかなり濃度が高いのだが、パンに塗った時においしい濃度らしい。
話はバターからそれるけど、まずいコーヒーに塩を入れておいしくする、という技がある。

コーヒーに塩なんて、と思うかもしれないけれど、ここまでのバターコーヒーの話を読んだ人なら納得できると思う。スプーン一杯のバターに含まれる程度のわずかな塩分は、安物のコーヒーの雑味を隠す効果がある。バターコーヒーの塩分は、塩分3%りバター5gなら、150mg程度だ。
いうまでもなく、上等なコーヒーでこれをやると、せっかくのコーヒーの特徴をぼやかしてしまい、逆効果になる。
以前、イタリアのコーヒーを調べていた時に、マキネッタの上のカップにぱらっと軽く塩を入れるというのを読んだことがある。安いイタリアン・エスプレッソの粉を使うんだったらこういう手もありそう。

2012年12月23日日曜日

韓国の大統領選挙

韓国の大統領選挙は結局、「独裁者の娘」で「初の女性大統領」の与党セヌリ党の朴槿惠が、野党民主統合党の文在寅を破って当選した。

選挙戦は、早くから立候補を決めていた朴槿惠有利という雰囲気の中、昨年のソウル市長選挙で市民候補の朴元淳を勝利に導いた安哲秀の動向が注目されていた。野党圏はぎりぎりまで候補の一本化がまとまらなかったが、結局、最終的に安哲秀が文在寅支持を表明、一気に野党候補の支持率が高まった。そして選挙前の世論調査では、与野の支持率の差は5%程度にまで縮まり、投票日に突入することになった。

結果は与党の勝利となったが、もし、野党側がもっと早くから候補の一本化に成功していれば、または最終的に安哲秀で一本化していれば、異なる結果になった可能性は高い。しかし歴史にIFはないという。野党候補一本化の遅れには、それなりの理由があった。選挙に敗北したのはあるいは必然だったのかもしれない。

個人的な見解だが、今回の選挙の結果は、与党の周到なイメージ戦略が功を奏したこと、野党は親盧派の傲慢や、改革を望む声を受け止められなかったこと、盧武鉉政権の失敗を清算できないまま親盧派の候補で選挙に突入したことなどが大きな要因になったと考えている。簡単に言えば、与党は民心が求めているものを鋭く読み取り迅速に対応したのに、野党や進歩陣営は、古い観念に囚われて民心を読み誤ったということだ。

社会秩序を重視する保守系政権が続くことになり、今後さまざまな社会運動への締め付けが強まることはあっても、決して弱まることはないだろう。しかし韓国の左派勢力にとって、今回の大統領選挙での敗北が意味するものは、単にまた五年間を保守政権の下で暮らさなければならないということだけではない。元々、労働運動などの中でも左派に属する勢力は、リベラル保守の野党候補には大きな期待は抱いていなかった。しかし4月の総選挙の前に、民主労総が支持していた民主労働党が親盧派非主流派の参与党と共に作った統合進歩党が内部的な問題で分裂したことから、左派勢力間の対立は修復不可能な状態になり、大統領選挙への対応で方向性を打ち出せないまま幹部をはじめとする有力者のグループが個別に動いた。そして大統領選挙での野党の敗北が、こうした分裂状態にとどめを刺した形だ。民主労総が掲げる労働者政治勢力化の方針が大幅に後退したばかりでなく、組織の求心力の低下、政治的発言力の低下で現場の闘争や労働運動全般への影響も避けられない。

では今回の与党勝利につながった韓国の民心とは何だったのか。とても一言でまとめられるようなものではないが、社会全体の保守化、古い対立の政治への嫌悪、有権者の要求の変化などがある。これらの要因について、ここでは特に「外国人」の立場から見た韓国の社会状況と、その選挙への影響について書き留めておくことにする。なぜなら、今回の韓国の大統領選挙をめぐる過程は、日韓で具体的な現れ方は違っても、日本の状況に通じる部分がある。グローバル化する経済の中で、地理的にも歴史的にも近い関係にある日韓両国が置かれた状況を、韓国の大統領選挙というフィルターを通して振り返る材料になると思う。

■若年層の政治意識と脱イデオロギー

今回の選挙は、リベラル指向が強い若年層の投票率が勝敗を左右すると言われていた。若年層の投票率が上がれば野党有利、低ければ与党有利と言われていた。実際には、若年層の投票率もそれなりに高かったのだが、むしろ保守的な指向が強い中高年層の投票率が上がったことで、保守系候補の勝利につながったと言われる。まず若年層の意識について分析してみよう。

日本から見ると、韓国の若年層の政治意識や社会意識はずいぶん高いように見えるが、韓国人に聞くと「そうでもないよ」と言う。考えてみれば、韓国人は日本人よりおしなべて政治意識が高い。韓国的な基準からすれば、若年層は政治意識が「低い」ということらしい...のだが、本当だろうか。

既存の韓国の政治活動家にとって「政治」とは、極端に言えば、たとえば南北統一、反米自主、民主化、社会主義といった分野の用語を駆使し、「悪い権力」に身をもって立ち向かうことだった。だが「反米自主」だの「労働解放」といった言葉は、政治的な民主化を勝ち取り、経済的にも豊かになった今の韓国の若い世代には以前ほど響かない。特に韓国では国是のような「統一」に対しても若年層の反応は冷めている。以前のような左翼的なスローガンへの反応も鈍く、韓国の厳しい資本主義社会の現実の中で必死に生き残ろうとする若者たちには、時として「保守化」というレッテルが貼られたりもする。

もちろん、分断国家の韓国は、21世紀になった今も古い冷戦構造の中にあり、そして韓国の労働者たちは今も厳しい労働搾取にさらされている。それで既存の韓国の政治活動家たちは、どうすれば若い人たちに「政治」に関心を持ってもらえるのかと一生懸命に考える。だが2008年の大キャンドル集会や2011年の希望のバスなど、韓国の若い人達は既存の活動家が思いもよらない方式で大量動員を実現したことを目の当たりにして、古い活動家は頭を抱えた。これらの新しい社会運動は、旧来の左右の理念的対立や運動の方法論の枠組みから大きく外れていたからだ。

「保守化」は単に若年層ばかりではない。韓国全体が保守化している。その中で、若年層は既存の「保守か進歩か」という政治的議論の枠組みに対する関心が薄いのは事実だろう。それを政治的意識の低下と認識すべきではなく、古い進歩的スローガンに反応しないことを保守化と認識することも正しくない。それは単に進歩陣営が、人々の共感を呼ぶような新しい進歩的議題の提出に失敗しているだけなのだ。

ところでキャンドルデモのような韓国の若年層の最近の社会的・政治的な活動についてはさまざまな議論があるが、ある韓国人の活動家は「結局、オレたちの時代の運動はそろそろ寿命なのかもしれない」、「オレたちがするべきことは、彼らに運動を教えることではなく、彼らの方式の運動を認めて、彼らを支えることなんだろうな」と言っていた。

■進歩の衰退

韓国はこの数十年間に大きく政治的構造が変化し続けてきた。1980年代後半まで続いた軍事独裁、その後の盧泰愚、金泳三の一定の民主化の過程を経て1990年代後半にリベラル保守指向の金大中は事実上、韓国の民主化を確立したといっていいだろう。それに続く盧武鉉は政治的には左派色が強まったが、李明博で保守に回帰した。

さて、韓国進歩勢力の衰退を語る前に、韓国の左派、あるいは進歩勢力の構造を整理しておきたい。韓国の「進歩」を日本でいう「左翼」の概念で理解すると混乱しかねない。

韓国の進歩は、反独裁・民主化運動という大きな流れの中に、反米・南北統一を目指す統一運動の流れ、労働組合を中心とする労働運動の流れなどがある。それぞれの流れは矛盾するものではなく、時には協力し合い、時には独自の色を強めながら今に至っている。

今回の選挙で文在寅を擁立した野党の民主統合党は、本流の金大中の流れをくむリベラル系保守政党だが、さらに急進的な主張を掲げる統合進歩党、進歩新党などがある。無理を承知であえてレッテルを貼るとすれば、統合進歩党は統一運動系、進歩新党は労働運動系と言える。ちなみに、韓国での「進歩」は、日本の「左翼」に近い「急進的」というニュアンスがある。そのため統合進歩党や進歩新党は「進歩政党」と呼ばれるが、民主統合党は一般的に「進歩」とは若干の距離がある。ただし、保守系からは民主統合党内部の進歩指向の部分について「アカ」攻撃が加えられる場合もある。

しかし、こうした旧来の政治的な構造には包括しきれない層が誕生している。軍事独裁の時代は遠くなり、反独裁・民主化というスローガンはすでに聞かれなくなって久しく、南北の経済格差の開きや最近の北朝鮮の理解に苦しむ軍事的挑発は従来の方式の統一運動への関心を低下させ、二極化の弊害は高まっているとはいえ、全体的な生活水準の向上で、激しい労働運動への共感は得にくい。その中で、環境、女性・移民などの少数者、社会的格差、過度な競争、教育問題といった、従来の枠組みでは捉え切れないテーマが社会的な問題になっているが、既存の進歩政党はこれらの問題に適切な対応ができず、有権者からの支持を失いつつある。

問題の根底には、それぞれの政党が変化した社会にあわせた自己改革が進んでいないことがあると言われている。特に春の総選挙の前に、進歩を指向する政治勢力は小異を捨てて団結し、強大な与党に対抗する力をつけなければならないという統合の動きが活発になった後、統合勢力の中での主導権獲得の争いが激化し、結局は分裂してしまった。野党最大勢力の民主統合党も、大統領候補を決める過程で、盧武鉉政権を支えた「親盧派」と呼ばれる主流勢力がかなり強引に自派の候補を押し通した。親盧派の動きは、その後、安哲秀勢力との候補単一化でも問題になる。

こうした政党内部のセクトや派閥の力学を前提とする動きの中で、一般の党員や有権者の声はなかなか反映されない。そんな古臭い政治の姿を露骨に見せつけたリベラル、進歩勢力は、有権者、特に若い有権者の離反を招くことになったのだろう。

なお古い政治の枠組みという点では、今回朴槿恵候補を当選させたセヌリ党も似たようなものだが、朴槿恵は総選挙を控えて大胆な党の改革に取り組み、党名をハンナラ党からセヌリ党に変更、イメージカラーを韓国保守層が最も嫌う「赤」にすることで、大衆的に「朴槿恵のセヌリ党は以前のハンナラ党ではない」という強い印象を植え付けることに成功し、総選挙での勝利を勝ち取っている。

■「新しい政治」の台頭

最近の新しい社会問題について、各地の大学生を対象とするワークショップなどでアピールを続け、浮上してきたのが、安哲秀を中心とする勢力だ。大企業中心の社会システムの問題、それに対応できない既存の政党政治の問題などを提起して「新しい政治」を掲げる。

古い枠組みの中で特別な人たちが語る、どこか遠い世界の「政治」には関心を持たない若年層も、これまで政治が語ろうとしなかった自分たちの問題について、自分たちの目の高さから語りかける安哲秀の「政治」に熱い支持を送った。

安哲秀は医者出身のIT技術者/経営者で、ソウル大学校融合科学技術大学院院長という肩書きを持つエリートだ。韓国の社会システムの中では特権階級に属する。決して労働者や貧民を代弁できるような経歴を持つ人物ではないが、現在の社会システムがいかに不公正なルールで維持されているのか、その矛盾を身を持って知る人物でもある。

彼は政治的な経験もなく、政治的な立場や実力は必ずしも明確ではない。発表された公約を見ると、特に具体的な問題に関する部分は、やや観念的な机上のプランという印象も受ける。しかし率直な社会批判、そして特に現在の政治に対する強い批判は、若年層を中心に高い人気がある。昨年のソウル市長選挙で強力な与党候補を破り、市民活動家の朴元淳が当選した背景には、安哲秀の強い支持があった。

彼の今回の選挙での主張は、「政権交代」ではなく「政治交代」だった。古い政治の打破、古い政党の解体、そして新しい政治を訴えた。彼が提示した選択肢は、野党か与党かではなく、保守か進歩かでもなく、古い政治に安住するのか、それとも新しい政治を切り開くのかという選択だったと言えるだろう。

政治に無関心とされていた若年層が、そんな安哲秀の主張に支持を送った。与党支持者も、これまでの野党に失望した人も、そして若年層ばかりでなく、年代を超えて多くの人々が安哲秀に期待を寄せ、「安哲秀現象」という言葉まで生まれた。

■盧武鉉の亡霊

金大中政権を引き継いだ盧武鉉は、議会から弾劾されても圧倒的な支持で大統領に返り咲くほどに強く国民的な支持を受けた大統領でもあった。慶南なまり丸出しの語り口や、人間臭い性格の持ち主だった盧武鉉の人気は今も高い。今回、野党陣営はそんな盧武鉉大統領の右腕と言われた文在寅を大統領候補に擁立した。

しかし、盧武鉉政権の五年間に対する評価は交錯する。一部の支持者からは今も肯定的な評価を受けているが、一般的な評価はかなり厳しい。盧武鉉は、政治的には進歩の立場を取ったが、経済的には市場原理主義的な新自由主義経済政策を取り、それにより発生した労働争議には厳しく実力で対応した。李明博政権の初期に大規模な韓米FTA反対デモが起きたが、強い反対を押し切ってその韓米FTAを締結したのは、まさに盧武鉉政権だった。そして今回の大統領選挙の行方を決めたと言われる50代前後の世代は、まさに盧武鉉政権の新自由主義的な政策で職を失ったり、住宅価格の高騰などで経済的な打撃を受けた世代だと言われる。

「労働者の涙を拭う」と言って誕生した盧武鉉政権が、労働者を叩きのめしたのである。おそらく盧武鉉個人としては心外だっただろう。しかし政党という政治組織を基盤とする政権は、盧武鉉個人の意思とは別の力で動かざるを得なかった。安哲秀が批判する古い政党政治とは、まさにこのような政治なのではないだろうか。

盧武鉉政権の失政について、文在寅候補は率直にその失敗を認めて謝罪したが、進歩陣営にもたとえば民主労総をはじめ、盧武鉉政権の中核にいた文在寅に対する恨みともいえるような拒否感は根強いものがあった。文在寅は政権中枢での実務経験、国政運営の経験をアピールしたが、それは同時に盧武鉉政権の失政の責任を問われる理由にもなった。そして「盧武鉉の再来」を心から恐れた50代の有権者を大挙投票所へと駆り立てたのだ。

親盧派が実権を握る民主統合党やその周辺のグループとしては、親盧派への風当たりの強さは自覚しながらも、何としてでも自派の大統領を当選させ、再び権力の座に返り咲きたかったのではないだろうか。政治が権力を指向することは、ある意味自然なことかもしれないが、有権者の声を無視した政治力学の中で政治が動くことについて韓国の有権者は強い違和感を感じている。

■ノスタルジーとイメージ


与党の朴槿恵の支持層は、朴正煕時代を知る高年齢層だ。確かに独裁は過酷だったかもしれない。しかし「アカ」が引き起こした朝鮮戦争で荒廃した国土を復興し、急速に発展させた朴正煕を今なお敬愛する人々は多い。また朴槿恵は、独裁者または国家発展の英雄である朴正煕の娘であると同時に、国母とも呼ばれ親しまれた陸英修の娘でもある。朴正煕の強さと陸英修の優しさの両面を持ち、両親を凶弾で失った悲劇の姫である朴槿恵は、苦しい時代を生き抜いて今の韓国を築き上げた韓国の高齢者たちにとって特別な意味を持つ存在なのである。また若い世代の中にも、世界の最貧国レベルだった韓国を世界でもトップクラスの先進国に押し上げる基盤を築いた朴正煕時代を、輝かしい躍進の時代と考える人は少なくない。

セヌリ党の選挙戦略で見事だったのは、古き良き時代のノスタルジーを新しいイメージで包装するという徹底的なイメージ戦略を展開したことだ。前に少し書いたように、党名と党のロゴを変更し、イメージカラーも赤に変えた。韓国の保守層は、本当に赤い色が嫌いらしく、このイメージカラーの変更にはずいぶん議論もあったといわれるが、結果としてこれは成功した。もちろん「初の女性大統領」というフレーズも頻繁に登場した。多くの国民が望む旧態然とした価値観や古い政治から、少なくともイメージの上では見事に脱却してみせた。政策的な部分でも現在の韓国社会が抱える民生、福祉、雇用、学費、財閥改革といった「進歩的」政策を、巧妙な逃げ道を用意しつつ、しかし果敢に取り入れてみせた。どの程度、本腰を入れてこれらの「進歩的」政策を実行に移すのかはともかく、こうしたキーワードが公約に並ぶことだけでも、新しさを演出するには十分だったと言えるばかりか、進歩陣営が得意とするキーワード(しかしこれらのキーワードは同時に朴正煕的な復興・国づくりのキーワードに通じる部分もある)を先取りすることで、政策論争の対立点を曇らせ、イメージ的な演出の比重を高めたとも言える。

そして選挙期間中のメディア戦略も徹底していた。可能な限り好印象を与える場面を作ってマスコミのカメラに狙わせ、朴槿恵が不利になりかねないTV討論会は、可能な限り朴槿恵に有利な形で実施するようにあれこれ手を尽くしたという。テレビの報道は、陣営からの圧力があったのか、あるいは政権に弱いテレビ局の幹部が朴槿恵に媚びたのかはわからないが、常に朴槿恵が有利な形で流された。

与党はこうしたノスタルジーやイメージ戦略を駆使して、朴槿恵は強く、優しく、心の底から国民の幸福を願う大統領候補だという印象を植え付けることに成功した。

その反面、野党陣営は必ずしもイメージ戦略に成功していたとは言えない。やはり前に書いたように、盧武鉉の後継者というイメージは、過酷な盧武鉉政権の記憶を想起させ、安哲秀との候補単一化の局面では古い政治を印象づけることになってしまった。

民主統合党の問題ではないが、進歩陣営の分裂や混乱は、進歩陣営にとってはもちろんだが、文在寅陣営にもマイナスだった。今回の選挙戦で、進歩陣営があげた得点は、テレビ討論会で統合進歩党の李正姫候補が舌鋒鋭く朴槿恵候補に迫った点だ。ただしこの得点も、朴槿恵の支持者にとっては「アカ」の候補による悪意の中傷程度にしか受け取られず、得点としてカウントしたのは野党陣営だけで実際には朴槿恵に何のダメージも与えることはできなかったという評価もある。すでに「独裁 vs 民主化」という対立のイメージは、今の韓国では陳腐化してしまったのだとすれば、これを「得点」にカウントしたセンスこそが問われている。

いずれにしても、与党は緻密なイメージ戦術を展開したのに対し、野党側は誰にでもすぐに実感できる肯定的なイメージを持っていなかった。選挙の最終局面で、安哲秀が遊説先でいわゆる「人間マイク」をやって話題になったことが、野党陣営によるイメージ戦術でほぼ唯一成功した最高の例ではなかったかと思う。

ちなみに、OWSで知られるようになった「人間マイク」は、韓国では「ソリトン」と呼ばれ、20年ほど前まで、韓国の学生運動などでは日常的に使われていた。「ソリトン! ソリトン! ソリトン!」という開始の掛け声は、おそらく学生運動の世代に訴える響きがあったのではないだろうか。一方、OWSで「人間マイク」を知った若い世代にとって、ソリトンはインターネットを通じて見るズコッティ公園のオキュパイを想起させ、新しい政治の息吹を感じさせたのではないだろうか。この映像はインターネットであっという間に拡散し、安哲秀の露出を極力控えていたテレビ局も、大型スピーカーがあっても、あえて「ソリトン」で訴えるという珍しい場面を紹介せざるを得なかったのだ。

■メディア


今回の大統領選挙でも、さまざまなメディアが活躍した。与党は主にテレビや新聞といったオールドメディアを、野党は主にインターネットのSNSやポッドキャストなどのニューメディアでそれぞれの支持者に呼びかけた。

もちろん放送は公共のメディアなので、本来は意図的に一方に有利な情報を流すことはできないのだが、与党は人事権を使い政権側の人物を経営陣に送り込んだり、番組内容への公開、非公開の圧力をかけたと言われる。最も露骨な形で現れたのがMBCだが、国営のKBSにも番組内容についてさまざまな「指示」があったと言われる。具体的な事例はいちいち紹介しないが、実際に番組を見れば、今回の大統領選挙での放送各社の態度がどのようなものだったのかは誰の目にも明らかだ。

韓国の新聞は、保守系の論調で知られる朝鮮・東亜・中央の三紙が全国的に圧倒的なシェアを維持している。リベラル系としては、ハンギョレ、京郷の二紙があるが、購読者数は少なく、ソウル首都圏が中心である。当然、朝鮮・東亜・中央は朴槿恵一色といってもいいほどだった。

韓国は世界でも有数のインターネット普及が進んだ国でユーザーも多いが、それでも大衆的な波及力はオールドメディアには及ばない。しかし野党陣営は、事実上、与党に握られたも同然の既存のマスコミよりも、インターネットでの活躍が目立った。

インターネットでは、OhMynewsのようなインターネット新聞をはじめ、ウェブの掲示板、TwitterやFacebookといったSNS、動画やネット放送(Podcast)などが文在寅や安哲秀に関するニュースの伝達に使われた。特に今年の選挙で目立ったのがネット放送だ。スマートフォンの普及で、動画や音声の視聴ができるようになり、特にPodcastは放送時間に縛られずに視聴できる。特に「ナコムス」のブレークで注目されたネットラジオ形式のPodcastは番組制作が容易で、「ながら聴取」ができるといった利便性が若年層にアピールした。また、放送局を解雇されたジャーナリストたちが発足させた「ニュース打破」はネットテレビ形式のPodcastで、そのまま地上波で流せるほどのクォリティを持つニュース番組だ。「ニュース打破」は、KBSやMBCのニュース番組が取り上げない重要なニュースを積極的に取り上げ、大きな反応を呼んだ。

今回の選挙では、主流メディアがあまり伝えない野党側の情報を求める多くの人々がインターネット・メディアで選挙に関する情報を得たり情報交換を行ったため、非常に活発に見えたが、テレビなどと異なりインターネット・メディアは能動的に情報を取得しなければならない。そのため、支持者向けの情報ツールとしてはともかく、支持者拡大のためのツールとしては限界があると言われている。

SNSなどの個人による情報発信も盛んだったが、選挙期間中に特定の候補への投票の呼びかけにつながる情報発信は禁止されている。そのため、野党支持者はSNSなどを使い投票を奨励するメッセージを拡散させることに力を注いだ。投票の棄権率が高い若年層には本来野党支持者が多いため、投票率の上昇は野党側に有利に作用するためだ。

このように新旧メディアに分かれて与野の情報戦が展開されたが、いかにインターネット先進国の韓国といえども、日夜、テレビや新聞で流される与党指向の組織的かつ大量の情報物量戦では、野党側の劣勢は明らかだった。

■韓国、これからの五年


大統領選挙が与党の勝利で終わり、韓国の進歩陣営は一様に沈み込んでいる。民主統合党を支持しなかった民主労総も、民主統合党には期待していないと大言壮語した左派も例外ではない。民主統合党は、信頼できる同志ではなかったとしても、少なくとも話は通じた。セヌリ党では話も通じない。

長く苦しい闘争を続けている多くの労働現場は、総選挙で野党が敗北した時もまだ大統領選挙があると信じて頑張ってきた。12月21日、昨年キム・ジンスク氏が長期間クレーンを占拠して闘った韓進重工影島造船所で「朴槿恵が大統領になってまた5年には耐えられない」という遺書を残して労組幹部が自殺した。限界に近い闘争を続けている多くの闘争現場の労働者も同じ気持ちだろう。

労働争議の現場ばかりではない。江汀の海軍基地反対闘争、密陽の原発送電塔反対闘争、サムソン電子との労災認定闘争など、多くの闘争の現場で闘っている人々にとって、大統領選挙での野党勝利は膠着した事態の突破口になるはずだった。

朴槿恵が大統領になることで、特に憂慮されるのは公営放送局、MBCの争議だ。李明博が送り込んだ経営陣により、国営のKBSや公営のMBCは明らかに政権のプロパガンダを垂れ流す道具になっている。それでも国営のKBSは支配構造が明確だが、朴槿恵と深い関係がある正修奨学会が大株主になっているMBCは、民営化の方向に進むのではないだろうか。その過程で、現在の争議はもちろん、戦闘的なMBC労組そのものが壊滅させられる可能性は無視できない。

朴槿恵は、民生重視を印象付けるために、いくつかの象徴的な争議で労組側に有利な介入が行われる可能性もなくはない。だが朴槿恵の労働政策の基本は、新自由主義的な労働柔軟化政策の枠組みを堅持した上で、セーフティネットを拡充し、生活の不安定化を救済するといった内容だ。現在、闘争を続けている労働者が満足できるような解決にはつながらないだろう。

むしろ朴槿恵は選挙で社会秩序の立て直しに肯定的な発言をしており、デモやストライキ、座り込みなどに対し、「社会秩序」を理由に厳しい対応に動く可能性も残る。

朴槿恵よりは文在寅に当選してほしかったというのは、進歩的な社会運動にかかわる多くの人々の本音だろう。しかし労働運動は、なぜ選挙の結果ごときでこれほど右往左往するようになってしまったのか…。

もちろん、選挙でやられたら昔のように路上でやり返せばいいというような単純な話ではないだろうが、厳しくなる闘争を支える方法や、反撃の方法はあるはずだし、なければ新しく開発すればいい。一人の中途半端な大統領を当選させることよりも、99%が力を合わせて社会を動かすことを考える方が、はるかに有益な結果を得られるに違いない。

当選の見込みはなくても韓国の左派が「労働者大統領候補」を立てたのは、ただの数合わせで権力の分け前を期待するのではなく、左派が目的とする労働者・民衆が主人公になる世の中では、当然、労働者が大統領になるはずだからだ。大統領選挙での勝利は、少なくとも左派にとって、目的ではなく、結果である。その意味では、バリバリの左派活動家にとって今回の大統領選挙での野党敗北は、ひとつのエピソードに過ぎないのかもしれない。

バリバリの左派は別として、現実的には次の選挙まで、韓国の社会運動は厳しい状況に置かれるだろう。これまで李明博の5年間、そしてこれからまた朴槿恵で5年間、同じような時間が続くというのは、日本人の私でさえ、考えただけで息苦しくなる。もっとも大半の日本人は、生まれた時から今の韓国のような時間が続いてきたのだが。

日本人の目から韓国の大統領選挙を見れば、「同じなんだなあ」と思わせられたり、「それは違う」と思ったりもする。同時に、韓国の選挙から、われわれは何が間違っていたのか、何をするべきなのかのヒントを読み取ることもできるのではないだろうか。