2016年12月1日木曜日

NHKのもうひとつの「誤報」

数日前にNHKの報道で数字の使い方がおかしい、その結果、「誤報」につながったと書いた。
しかし昨日(11/30)、NHKはまた数字で混乱している。

「韓国最大の労組が大統領の退陣を求めて大規模な抗議集会を開いた」という内容の夜のニュースなのだけど、ここでNHKはソウルで韓国最大の労働組合である全国民主労働組合総連盟が抗議集会を開いた、全国規模のストライキを呼びかけていて、製造業や交通機関の労働者など22万人が参加していると伝えた。

これまでNHKは、韓国での一連の大統領退陣を求めるデモや集会を報道する時は必ず警察発表の数字だけを使い、主催者発表の数字は完全に無視して触れもしなかった。ところが今回は主催者発表の数字として「およそ2万人」が集会に参加、22万人がストライキに参加したと伝えている。
そして不思議なことに警察発表の数字については完全に無視して触れもしない。
参考までに韓国のメディアは、警察推定のソウルの集会の規模は8000人で、雇用労働部推定のゼネスト参加者数は6万8350人と伝えている。

NHKは何を基準にして、ある集会は主催者発表の数字を使い、ある集会は警察発表の数字を使うのかまったくわからない。ぼくの周辺でも「おかしい」という人は多いのだけれど、もしNHKがそうした視聴者の意見を反映して主催者発表の数字を使ったとしたら、それは視聴者の意見を取り違えている。
海外のデモの様子がわからない日本の視聴者は、実際にどの程度の人が集まったのかを知りたいのであって、ニュースに数字を出すのであれば視聴者がその規模を正しく把握できるように工夫しなければいけない。警察発表の数字に多くの人が不満を感じたのは、それが警察情報のタレ流しのお手軽なニュースだったからというばかりでなく、実際の規模とかけ離れた数字だったからだ。

ところでこの文章のタイトルに「もうひとつの『誤報』」と書いたのは、NHKのニュースで「韓国最大の労働組合である民主労総(全国民主労働組合総連盟)」と言っていたこと。
11月末現在、民主労総のウェブサイトでは組合員数は69万1,136人という数字が出ている。NHKは「69万が所属する」と書いているので、これは問題ない。
しかし韓国には韓国労総というもうひとつのナショナルセンターがある。やはりウェブサイトを見ると、韓国労総の組合員数は94万8,790人となっている
すると韓国最大の労働組合は韓国労総で、民主労総は「韓国最大」ではなく「韓国第二の労組」ということになる。
韓国労総の組合員数が本当に発表通りなのかどうかはわからない(もっと少ないという声もないわけではない)が、一応、サイトで発表されている数字は公式の数字なので、NHKが韓国労総の組合員数が民主労総の組合員数より少ないとする理由は見当たらない。
これは明らかに間違いであって、一種の「誤報」と言えると思う。

とにかく、ぼくが言いたいことは、NHKは一体何を基準に報道しているのか、ある時は主催者発表、ある時は警察発表という一貫性のなさは何なんだということ。労組の規模について、基本的なデータさえ把握せずに「韓国最大の労組」と言うお粗末さは何なんだということ。

今、韓国では大きな社会的な変動につながりかねない事件が動いている。
この動きを陣営の思惑から離れてしっかり伝えるのが公共放送の役目のはず。
いったい、何のためにソウルに支局を設置し、特派員を派遣しているのだろう?
こんな報道しかできないのであれば、ソウル支局など必要ない。仕事をしない特派員も全員更迭してもいい。
その代わり、ぼくが1本100万円ぐらいで記事を書いてやるよ。支局の維持費、人件費を考えれば安いもんだ。

2016年11月28日月曜日

NHKの「誤報」

朴槿恵大統領や崔順実を中心とする大規模かつ広範囲な不正や汚職などが明らかになり、40%前後だった政権支持率は10月に不正の決定的な証拠が報道されると急低下、最近では4%という数字を記録した。毎週末、膨大な人が街頭に出てきて退陣を叫ぶデモが続いている。
最初は数千人だったデモの規模は回を重ねるごとに増え、主催者側によれば5回目のデモは首都ソウルでの130万、全国で190万人が退陣を叫んでデモを行ったという。

ところが不思議なことに、日本の報道機関の多くはデモの規模について主催者発表の数字を使わず、警察発表の数字を報じている。ただしほとんどの報道機関は主催者発表の数字も併記するなどしてデモの規模の大きさを伝えているのだが、NHKはなぜか一切主催者発表の数字に言及していない。
たとえばNHKは11月26日のニュースで、ソウルでの集会の規模を「今月12日に続いて、民主化以降、最大規模のおよそ26万人」と報じた。主催者発表のほぼ1/5の数字だ。

主催者発表の数字は参加者の延べ人数、警察発表の数字は特定の時点での人数だそうだ。警察発表の数字は原理的に主催者発表の数字より小さくなる。
しかし、抗議デモの場合、最大何人が同時に集まったかが重要なのではない。どれだけ多くの人が抗議の声を上げたのかが問題なのであって、その意味で瞬間を切り出した警察発表の数字を使うのは不適当だ。それなのに、NHKは警察発表の数字を書き写すだけ。
NHK以外でも警察発表の数字を使う報道機関は少なくないが、ほとんどの場合、主催者発表の数字も併記している。しかしNHKは警察発表の数字を書き写すだけ。

NHKが警察発表の数字にこだわり続ける理由はよくわからない。
だがNHKは「民主化以降、最大規模」と報じていることを想起すれば、どうやらNHKは主催者発表の数を念頭に置いてニュースを作っているらしいということがわかる。

NHKが言う「民主化」は、1987年の民主化抗争のことだ。
1987年6月26日に行われたデモの規模は主催者発表で180万人以上、警察発表では2万2千人というのが通説とされている。
警察発表の数だけを比べれば、2万2千人を超える規模のデモは何度も行われている。たとえば2008年6月10日の韓米FTA反対デモの規模は警察発表で8万人だった。
もし警察発表の数字だけを比べるのであれば、NHKはニュースで「2008年FTA反対デモ以降最大」と報じなければならなかった。いや、先週すでにFTA反対デモの規模を超えているので「12日のデモ以来最大」と報じなければいけないことになる。つまり、史上最大のデモだったと報じなければならない。

警察発表の数字を使えば「史上最大」のはずなのに、NHKは「1987年の民主化以降最大」と報じた。
それならその根拠となる数字は主催者発表の数字でなければいけない。
民主化抗争の主催者発表の数字は180万人以上、韓米FTA反対デモの主催者発表の数字は100万人なので、今回の主催者発表130万人という規模は確かに「民主化以降最大」と言える。
したがって「民主化以降最大」と報じるNHKは、主催者発表の130万という数字の方が現実に近いことを認識した上で、何らかの理由で主催者発表の数字を隠したまま警察発表の数字を報道し続けているということになる。

これは単に数字の相対的な大小の問題ではない。
歴史的な出来事の軽重にかかわる問題だ。
1987年の民衆抗争は、当時の軍事政権を退陣に追いやるほどの大規模なデモだった。今回のデモが民衆抗争時のデモより規模が小さければ、政権を退陣に追いやるほどの規模ではないと解釈することもできる。逆に民衆抗争時より大きいのであれば、政権が危険になる水準の規模だということになる。
花火大会の人出のニュースと違い、どの数字を使うかによって、政治的な意味が変わり、歴史における順位が変わるのだから、いい加減な理由で数字を扱ってはならない。

韓国はもちろん、欧米のメディアも、そして日本でも多くのメディアが主催者発表の数字を併記しているのはそのような理由がある。NHKも、主催者発表の数字を併記するべきだった。
NHKは警察発表の数字しか報じなかったことにより、デモの社会的な意味、歴史的な意味を見失ったばかりでなく、1本のニュースの中で本当は史上最大なのに民主化以降最大と報じるという「誤報」、あるいは本当は130万人なのに26万人と報じるという「誤報」を犯してしまったわけだ。

もっとも、1987年の軍事政権下の警察発表の数字は、決して信頼できるような数字ではない。
しかし警察発表の数字は常に時の権力者によって歪められるものだ。
だから韓国では1987年の民衆抗争の規模は普通、主催者発表の180万人以上という数字が使われる。
実際に今回のデモの規模についても、韓国では誰も警察発表の数字なんて信じてはいない。
今回のデモの原因になった朴槿恵政権の無数の問題の中には、青瓦台が警察や検察に介入して真実を隠し、警察や検察に政権にとって都合が良い情報を流させていたことが明らかになっている。軍事政権下の警察発表が信じられないのであれば、全く同じ理由で警察の発表にも青瓦台の介入を疑わなければならない。警察発表の数字を報道することに意味がないとは言わない。しかし、警察発表がすべてではない。「政府が右と言えば右」というセンスで報道機関が当局の発表を垂れ流すことがいかに危険なことなのかをNHKは理解しなければいけない。

今、目の前で起きている出来事がどのような意味を持つのか、その意味をこれまでの多くの出来事と比べるために数字が使われる。ニュースでどの数字を使うかによって、出来事の意味が変わってくる。
もしNHKが「警察が26万と言ったから26万」というのであれば、報道機関として失格ではないだろうか。今、何が起きているのかを見極めて、意味のある数字を使って出来事の意味をニュースの受容者に伝えることが報道機関の役目だと思う。












2016年7月7日木曜日

七夕と暦について、とりとめのないメモ

今日は「七夕」ということになってるけど、天気予報では夕方から曇り。七夕星は見えそうもない。やっぱり七夕は旧暦がいい。今年の旧暦の七夕は8月9日だそうな。

俗に旧暦、陰暦とも言うけど、正しくは大陰太陽暦。月の動きと太陽の動きを組み合わせるので、月と太陽の位置から発生する誤差を適当に修正してやらないといけない。これがめんどくさい。太陽暦だとほぼ自動的に計算できるんだけど、大陰太陽暦は誤差調整の程度について、どうしても人間の判断が必要になる。
問題は、「誰が判断するか」ということ。誰もが勝手に暦に修正を加えると、暦が乱立して何が何だかわからなくなる。これでは暦の役に立たない。
だから大陰太陽暦を作った中国は皇帝の権威で暦を制定した。毎年、修正が必要になる暦は、最高権威者が、彼が支配する地域で使われる暦を決めたわけだ。
言い換えれば、皇帝は時間までをも支配したのである。
暦は元号とともに、権威の象徴でもあったわけだ。

面白いのは、東アジアで使われていた暦は、ひとつではないということ。中国ではもちろん中国皇帝お墨付きの暦が使われていたが、周辺の国々ではそれぞれの支配者が決めた暦が使われていたという。
朝鮮半島では主に中国の暦を輸入して使ってきたが、完全にシンクロしていたわけではない。日本は江戸時代まで中国の暦を使っていたが、やはり中国の暦とシンクロしていない。平安時代ぐらいまでは貴族が中国文化の輸入に熱心だったので比較的新しい中国の暦を使えたのだが、武士が日本を支配するようになって中国との交流が希薄になると、暦がアップデートされないまま、古い中国の暦法を江戸時代まで使い続けてきた。さすがに誤差が大きくなって、江戸時代に日本が独自開発した暦が使われるようになり、明治時代に暦法を太陽暦に切り替えるまで、国産の暦の使用が続いたという。

東アジアをひとくちに「中華文化圏」というけれど、どんな暦を使っていたかによって、中国との関係がわかる。中国のオフィシャルな暦をそのまま使う地域が、まさに中国。オフィシャルな暦をモディファイして使ってれば、周辺国。別の暦を使っていれば中国とは無関係の国、ということになる。ちなみに日本の江戸時代の沖縄は、オフィシャルな中国の暦をモディファイした琉球暦を使っていたらしい。

詳しいことは調べてみないとわからないけれど、江戸時代に日本が独自の暦を作成した頃は、ちょうど国学が誕生した頃だった。初の国産の暦だった貞享暦が制定された1685年は、契沖や荷田春満といった国学の先駆者が生きていた時代であり、長崎に出島が作られ西洋の文化が流入し始めた時代でもあった。
中国という東アジアの強大な権力のソフトパワーの影響下にあった日本に、中国とは異なる西洋の価値があることを知り、それと並行して日本固有の古代の価値を再照明することを通じて日本人が自分たちのアイデンティティを確立していったんだろう。何百年も前の古臭い中国の暦を捨てて、自分たちの独自の暦を作ってもいい、作るべきだということに気が付いたのかもしれない。
この時、新しい日本製の暦は、当時、暦を管理していた江戸幕府が実施している。天皇は暦の改変について、何か建議されたのかどうかまでは知らないけれど、とにかく幕府がその時代の時間までを支配する最高権力者だったということ。
「脱亜入欧」、「和魂洋才」なんて、明治になって作られたスローガンだと思ってたけれど、すでにこの頃から時代遅れの中国の影響から抜けだして、新しい日本的な価値を追求しようという動きが始まっていたわけだ。で、その新しい日本的な価値ってのが、まったくユニークなオリジナルではなく、中国やら西洋やら古来の日本のものやらのいい所をうまいこと組み合わせて作られたというのがいかにも日本的。今のメイド・イン・ジャパンに通じる発想なのかとも思う。

日本では明治維新で尺貫法や大陰太陽暦といった古いスタンダードがすべて西洋式に変えられた。中国や朝鮮がどのような経緯で暦を切り替えたのか、ぼくは知らないけれど、今でも中国や韓国は民衆レベルで陰暦が生きている。日本ではよほどの年寄りか変人でなければ、そもそも陰暦とは何かさえ知らなかったりするのだが。想像するに、中国も韓国も、新しい太陽暦への切り替えを命じたのは皇帝や王ではない地べたの権力だったのに対して、日本は天皇の名で暦の切り替えを命じたからかもしれない。
それはともあれ、今、日本では国立天文台が陰暦の暦を決めている。中国や韓国も同じような組織が決めている。時間の支配権が絶対権威者から国民国家に移動したわけだ。もっとも、日本と北朝鮮だけは、絶対権威による年号が使われているあたり、両国の支配者と人民のルナティックなメンタリティを象徴していると言えそうだが。
年号を除けば、時差などによる若干の誤差はあるものの、基本的には現在、東アジアで使われている陰暦の暦法は同じものらしい。
つまり、東アジアの土とともに生きてきた非権威的な人民の間には、陰暦に関する限りほぼ共通のスタンダードがある。ようやく東アジアの人民は、国境を越え、皇帝だの王だの天皇だのといった絶対権力の支配から「時間」を取り戻したのかもしれない。

中国の七夕も、韓国の七夕も、したがって今年は太陽暦の8月9日の夜に行われる。日本でも仙台の七夕、青森のねぶたなどは旧暦の7月7日(の前後)に行われる。これら東北の土地は、朝廷の権威が及ぶのが遅れた土地でもある。

そんなことを考えながら、今年もやっぱり七夕星を見るのは8月9日にしよう、と思う。

2016年5月4日水曜日

リッツ缶ロースターの使い方~いろいろ工夫してみる編

そんなわけで、とりあえず編に続いて、現在、実際にぼくがこのロースターをどう使っているかについて。
とりあえず編では、リッツ缶ロースターにコーヒーの生豆(これ「なままめ」と読む)を入れて火にかければ15分ぐらいでコーヒーになる、と書いた。その通りで、このロースターなら特に神経を使わなくてもまずくて飲めないなんてことは絶対に無い。そうは言っても、やっぱりノウハウみたいなものがある。また、コーヒー焙煎のプロセスの各段階で、コーヒー豆がどう変化しているのかといった焙煎の基本的な知識があると、応用も効くというもの。ただし、ぼくは焙煎の専門家ではないので、特別に専門的、あるいはマニアックな内容ではない。シェフでも板前でもない素人がレシピサイトに投稿している「鶏胸肉をジューシーに仕上げる方法」だとか「サクサクのクッキーを焼くコツ」みたいな内容だと思っていただきたい。

2016年4月30日土曜日

リッツ缶ロースターの使い方〜とりあえず焙煎編

ロースターの作り方を載せたので、今度は使い方の説明。
…と言っても、この「とりあえず焙煎編」では難しいことは考えない。
生豆をカップ1杯(約150g)ぐらいロースターに入れて、ガスレンジの火にかけ、ひたすら缶を上下にがしゃがしゃと振り続けるだけ。豆がおいしそうな色になったら火からおろしてザルなどに豆をあけてファンやうちわなどで冷やす。
これでオシマイ…なんだけど、これだけではあまりにも説明としては不親切なので、もう少し詳しくぼくの使い方を書いておこう。

2016年4月29日金曜日

簡易コーヒー・ロースター

もうずいぶん前のことだけど、ぼくがエスプレッソを飲み始めた頃、エスプレッソ用のいいコーヒー豆を入手することが難しかった。別にエスプレッソ用と言っても特別な豆ではなく、普通のコーヒー豆でもエスプレッソで飲めるのだが、そこは好みというものがある。深煎りならいいってもんじゃないけど、ドリップを想定した焙煎度の豆だとちょっと浅い。好みの焙煎度の豆を見つけても、味が気に入らないとか、まあ、とにかくあれこれのコーヒーショップを回って探したりもした。ところが、「これだ!」と思うような豆はなかなか見つからない。
そんなある日、韓国の友人が「それなら自分で焙煎すればいい」という。簡単だから、というので、それじゃ、とばかりにコーヒー屋で金網の焙煎器を買ってきて自分で焙煎してみたら、ホントにそこそこ満足できてしまう。高級な豆屋で高い値段の豆を買わなくても、自分が必要な時に好みの味のコーヒーが飲める。少なくとも、それ以来、ぼくはコーヒーは自分で焙煎するようになった。
最初のうちはいわゆる「手網焙煎」というやつでやっていたのだけど、ネットでミルク缶を使って焙煎器を作る方法を見つけた。なかなか良さそうだったのでミルク缶と同じようなサイズのリッツ缶を使ってやってみたところ、具合がよろしい。手網よりいい感じに焙煎できる…のだけど、使っているうちに音がうるさいとか、自宅のガスレンジの温度検知器が作動して火が小さくなるとか、熱量が足りないとか、それなりに不満も感じるようになった。

2016年2月9日火曜日

Raspberry Pi新規インストールの小技

Wheezyで使っていたRaspberry Piが時々エラーですっ飛んでしまったりする。使っているSDカードの問題らしいので、新しいSDカードに最新版をインストールすることにした。
しかしダウンロードしたイメージをddコマンドでカードに書き込んだだけでは、最初の設定をするのにキーボードやマウス、ディスプレイをつなぐか、シリアルコンソールなどのとにかく外部入出力が必要になってしまう。初期設定のためだけに何本ものケーブルでディスプレイやキーボードをつなぐのも面倒。
というわけで、OS(Raspberian)のイメージを書き込んだカードをそのままLinuxのデスクトップにマウントして、とにかくスイッチを入れればsshでログインできるように、最低限の設定をしてみた。